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2011/06/05

硬い

 先日、中国語の講座を受けた。その際、ちょっと面白いな、と思ったことがあったのでメモしてみる。

 中国語の授業の最後では、スピーチのテストがあって、自由に作文したり、テキストの内容を暗記したりして発表していたのだけど、その中で中国人の先生が、

 「接続詞を多用していますね。それは日本語にすれば、決して間違いではないのですが、中国語の会話表現としては、『硬い』ですね。」

 と言っていた。

 そう。日本語はよく主語が省略されると言うけれど、中国語では接続詞が省略されるのだ。
 具体的には、

 你说 我听。

 という文章を例にとると、「你说」は「あなた話す」で、「我听」は「わたし聞く」なのだけど、その間の接続詞を省略してもいいことになっている。ちょっと日本語では考えられないけれど、その辺はその場の雰囲気というかシチュエーションで類推することになっている。まあ、分かるでしょ、あえて言わなくても、という感じだ。だから、あえてきっちり言うと「硬い」ということになる。
 昔のコマーシャルで、「白人、ウソツキ。インディアン、ウソつかない。」っていうのがあったけど、あんな感じだ。

 この例だと、、「あなたが話している(だから私は話せないので)私は聞いているのだ。」なのか、「あなたは話しなさい。私は聞いているから。」なのか、「あなたは話す(そして)私は聞く」なのかは分からない。前後の流れや周囲の状況を見ないと、その文章を見ただけでは分からないのだ。だからこの文章の翻訳は9通りくらいある。

 以前、中国語を真面目に勉強していた時、中国人の書いた学術論文より、中国語の絵本や童話のほうが難しいことに気がついて愕然としたことがあった。論文は、接続詞がちゃんと書いてあるし、日本で訳された学術用語が多用されているので分かりやすい。でも童話はそんなものが無い上に接続詞もないから、本当に難しいのだ。
 
 しかし、明治以前の日本の古文を考えると、やっぱり接続詞は省略されている。というか漢文調ならどうしったってそうなる。漢文で補いきれないから、レ点や数字の他にカタカナでふりがなを振って補っているけど、それだって補いきれているとは言い難い。

 中国人が言うところの日本語の表現が「硬い」というのは、明治以降、西洋に必死で追いつこうといわゆる「訳語口調」を取り入れて、訳語口調で考えることを常としてきたことが大きいのではないかと思ったりする。

 日本人は真面目だとよく言われるけど、きっと中国人からすれば、それは「硬い」って思うんだろうなぁと思う。逆に言うと、今の中国人はどれだけ訳語口調できっちり考えているのだろうかと思う。極端なインテリは別として、中国庶民は、接続詞なしのその場その場の場あたりで、あんまり考えていないと言ったら差別になってしまうのだろうか。いやでも実際そんな感じがする。

 言語様式は、思考様式であって行動様式を規定してるってのはほんとじゃないのかなと思う。

PS:再来週、中国人ディーラーが来社して技術研修することになりました。

※MIXI日記から転載
2011/04/24

中国語酔い

 先週に引き続き、朝から夕方までまるまる一日中国語の授業。
 今日は試験。中国語での自己紹介というかプレゼンテーション。
 みなさんツワモノぞろいで、ちゃんと絵とか用意して流暢にやってて驚く。
 試験の結果は、、、分かりません。

 帰りの電車では、なぜかそっちこっちから中国語が聞こえてくる。よく聞くと日本語。
 特にマシンガントークの女性どうしのガシガシした会話は、遠くで聞くと中国語っぽい。

 中吊り広告の漢字を見ても、中国語の発音が頭をよぎったり、発音と同時に日本語の漢字の後ろに、中国大陸の漢字(簡体字)がぼんやり見えたり、中国語酔いです。

 以前に中国語をやっていた時以来、久しぶりの体験です。
 でも、ハングル酔いはもっとひどいらしい。

※MIXI日記から転載
2011/04/19

暗唱と暗譜

 つまらない連想です。

 来週日曜日、また放送大学で一日中国語の講座に行く。次は最後に試験があって、これに通らないと単位が貰えない。今は単位が欲しくて学んでいるわけではないのだけど、せっかくなので合格したい。

 試験は、テキストないし自分で作ったまとまった文章を暗唱すること。それで、今練習している。
 ところがこれが、難しい。自分で作った文章でも、むつかしい。

 今まで、テキストの文字を見ながら、それを朗読することばかりやってきたので、何も見ないで話すことに慣れていない。一昨日の授業では、それでずいぶん恥をかいた。それでも、繰り返しやっているうちに、文字ではなくて口から出てくる音の感触のほうで少しずつ覚えていけるようになってきた。

 これって何かに似てるな、と思ったら、楽譜の暗譜に似ている。
 最初から楽譜なりコード譜に頼っていつも見ながら演奏していると、いつまでたっても暗譜できない。譜面が無いと急にたどたどしくなって、最悪演奏が止まってしまう。

 でも、バンド演奏とかで、はじめから譜面を使えないことが分かっていると、最初から気合いを入れて見ないで演奏する練習をするので、譜面が無くても演奏できるようになる。というか、譜面が読めなくても音さえ記憶出来ていればいいので、正確には暗譜というより、「譜面なし演奏」だけど。

 今、私は譜面なしで演奏できる曲はあまりないけれど、そういう曲は、コード進行とかよりも、指の形や感触で覚えている。音を出しながら、それを探っていく感じ。これって語学の暗唱で、口から出てくる音の感触を覚えていくのに似ているなぁと、いまさらながらに思った次第です。

※MIXI日記から転載
2011/04/19

中国語講座に行く

 昨日、放送大学の中国語会話講座を受けてきた。

 場所は、幕張にある千葉センター。京成幕張駅を降りて、海に近付くにつれ、路肩に積まれた砂が気になる。液状化現象で地面から出てきた砂だ。

 放送大学に着くと、母校の校舎は見事に被害に遭っていた。すべての建物が、階段一段分くらいは持ち上がっている。周りの土地がその分沈下したということなのだろう。私は放送大学出身で、小・中・高、そしてその後通った2年間の専門学校すべてが廃校になって校舎も無くなっているので、胸が痛んだ。

 とにかく、23年ぶりの大学での中国語の授業だ。前日は感覚を取り戻すために気合を入れて予習してきた。この授業のシラバスには、最初から中国語初学者お断りの、会話中心の授業と書かれていたからだ。私は放送大学で第一外国語を中国語にして卒業した。ほんとにさんざん苦労したので、時間は経っているけど、なんとかなるだろうと思っていた。

 時間2分前から授業がはじまる。先生は北京出身の正しい北京語(標準語)を話す女性の先生。先生も気合いが入っている。いきなり中国語だけで話し出す。出席もすべて、日本人の名前を中国式で発音する。これには、タオ(到)と返事しないとならない。浅はかなナショナリズムが一瞬うずいたけれど、先生の底抜けの明るさにどうでもよくなる。とにかく楽しく愉快に、溺れるくらいに中国語にどっぷり浸かりましょうというコンセプトらしい。これは語学学習としてはまったく正しい方法。異論をはさむ余地はない。

 授業は、自分の中国語の力がこんなもんかというものをイヤというほと知らされる内容だった。何度か読んで、合間に先生が解説(解説も中国語が混じる)して、そいつを暗唱。受講者が二人ずつペアになっていきなり何も見ずに相手と会話をするという内容。これを朝10時から夕方5時まで6回くらい繰り返す。
 会話じたいは平易なのだけれど、とにかく、哀しいくらいに覚えられない。
 在学中は、中国語を第一外国語にしてきて、それなりに自信があったけど、玉砕という感じ。とにかく会話は単語が出てこなければ、まさに話になりません。

 ということで、ほんとにいい経験です。来週日曜にもまた、まるまる一日、授業があってしかも最後は会話発表の試験。自己紹介でもいいけど、とにかく何も見ないで話すこと、というのが条件。がんばります。

※MIXI日記から転載