2011-06-05 01:53 | カテゴリ:中国語
 先日、中国語の講座を受けた。その際、ちょっと面白いな、と思ったことがあったのでメモしてみる。

 中国語の授業の最後では、スピーチのテストがあって、自由に作文したり、テキストの内容を暗記したりして発表していたのだけど、その中で中国人の先生が、

 「接続詞を多用していますね。それは日本語にすれば、決して間違いではないのですが、中国語の会話表現としては、『硬い』ですね。」

 と言っていた。

 そう。日本語はよく主語が省略されると言うけれど、中国語では接続詞が省略されるのだ。
 具体的には、

 你说 我听。

 という文章を例にとると、「你说」は「あなた話す」で、「我听」は「わたし聞く」なのだけど、その間の接続詞を省略してもいいことになっている。ちょっと日本語では考えられないけれど、その辺はその場の雰囲気というかシチュエーションで類推することになっている。まあ、分かるでしょ、あえて言わなくても、という感じだ。だから、あえてきっちり言うと「硬い」ということになる。
 昔のコマーシャルで、「白人、ウソツキ。インディアン、ウソつかない。」っていうのがあったけど、あんな感じだ。

 この例だと、、「あなたが話している(だから私は話せないので)私は聞いているのだ。」なのか、「あなたは話しなさい。私は聞いているから。」なのか、「あなたは話す(そして)私は聞く」なのかは分からない。前後の流れや周囲の状況を見ないと、その文章を見ただけでは分からないのだ。だからこの文章の翻訳は9通りくらいある。

 以前、中国語を真面目に勉強していた時、中国人の書いた学術論文より、中国語の絵本や童話のほうが難しいことに気がついて愕然としたことがあった。論文は、接続詞がちゃんと書いてあるし、日本で訳された学術用語が多用されているので分かりやすい。でも童話はそんなものが無い上に接続詞もないから、本当に難しいのだ。
 
 しかし、明治以前の日本の古文を考えると、やっぱり接続詞は省略されている。というか漢文調ならどうしったってそうなる。漢文で補いきれないから、レ点や数字の他にカタカナでふりがなを振って補っているけど、それだって補いきれているとは言い難い。

 中国人が言うところの日本語の表現が「硬い」というのは、明治以降、西洋に必死で追いつこうといわゆる「訳語口調」を取り入れて、訳語口調で考えることを常としてきたことが大きいのではないかと思ったりする。

 日本人は真面目だとよく言われるけど、きっと中国人からすれば、それは「硬い」って思うんだろうなぁと思う。逆に言うと、今の中国人はどれだけ訳語口調できっちり考えているのだろうかと思う。極端なインテリは別として、中国庶民は、接続詞なしのその場その場の場あたりで、あんまり考えていないと言ったら差別になってしまうのだろうか。いやでも実際そんな感じがする。

 言語様式は、思考様式であって行動様式を規定してるってのはほんとじゃないのかなと思う。

PS:再来週、中国人ディーラーが来社して技術研修することになりました。

※MIXI日記から転載

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